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写真は、過去の業務経歴の第1号「1981年7月のNビル内装工事設計」のキッチンです。レンジフードを持たず、排気をプレートで受け止め、下部方向に有圧換気扇を利用して排気する「ハイキエース」という製品のカタログ(1984年3月)の見開き写真に採用されました。「キッチンへの提案-寺尾信子」という文章の寄稿の機会も頂きました。

2020年3月17日、Nビルキッチンに

「39年間キッチンありがとう」

そうつぶやいて、事務所開設最初の仕事であるこのNビルを去りました。兄夫婦の転居に際しこのキッチンは解体の運びとなりました。単なるキッチンですが、文字として留めておきたい沢山のことがあります。

兄嫁の卓越した料理の腕前で数えきれない食卓のシーン 家族はもとより親戚や子供の友人など、数えきれない食卓のシーンが生まれました。主(あるじ)の資質でこれほどまでにキッチン設計が活かされるものかと感動します。親族の食事会はいつしか定例行事となり、その人数は年々増え子供も成長しました。

ハードウェア商会のこと 1974年11月に松屋銀座で<第158回デザインギャラリー1953「創る・造る・作る・住む」>という展覧会がありました。大学4年生の11月のことでした。偶然その展覧会を見て宮脇檀さんの奥さんの宮脇照代さんのことを知りました。インテリアデザイナーと建築家が集って、自分たちでデザインし、生産し、販売し、埋もれている製品を発掘しようという運動体のようなグループの展覧会でした。のちに実家のキッチンの設計をするときに迷わず千駄ヶ谷のハードウェア商会を訪ねました。

偶然の重なり 仮に設計がうまく行ったと自己満足しても、使ってくれる人に恵まれなければ活かされませんが、このキッチンに関しては主(あるじ)にも恵まれ39年間フル稼働で見事に役割を果たしてくれました。「ハイキエース」も、「フランス・ロジエール社製オーブンレンジ」も39年間交換無しで走りました。ピアノを習いに行く子供たちが、美味しいパンやお菓子につられて足を運ぶそのような場でもありました。

展覧会「創る・造る・作る・住む」の先見性 システムキッチンメーカーが多数出現している今日をリードし、40年を経てなお新しさを失っていないハードウェア商会の活動主旨に感銘します。使い易い引き出し「プラチェスト」も懐かしい部品のひとつです。

こどもが育ち、人々が集い、主(あるじ)を輝かせる場となったキッチンの背景に、優れたデザイナー集団の活動があったことを、そして偶然の出会いに恵まれたことを、私自身の心の記念碑にしたいと考えています。

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